不安定なとき

2026.05.14.

出来るようになっている実感がないとき  vol.6084

毎日続けていても、出来るようになっている実感が
少ないことってありません?
例えば、筋トレしてても目に見えた変化がないとか、
勉強をしているのに点数が目に見えて上がらないとか。

頑張ってる感と能力向上に
ズレがある状態。

そうなると結構、揺れると思うんですよね〜。
本当にこれをやってて向上するのか?
やり方は間違ってないか?って。

こういったときの不安って
できないから不安というより、
本気で変わりたいから不安なんですよね〜。

理解することとやれることには
ギャップがあるじゃないですか。

特に成果に結びつくのに時間がかかるものは
この、目に見えて結果が出ない自分との
向き合い方が大事だったりします。

もっと追い込むというより
この停滞感込みで前進している
と理解することなんですよね〜。

だって
「今までの努力の仕方では足りないのかも…」と
感じているわけですよね。
ある意味、とうとう
本当に変わり始めるドアの前に
立てているようなものなんです。

さらにアクセルを踏むより、
少し休んでもいいかも知れません。

人は休んでいる間に、
整理や定着が進みますから。

 

写真は、お店はお休みだったんですが、
通り沿いの大きなアーチ窓の向こうにきれいな花が飾られていたものです。

2026.05.06.

恐れには段階がある  vol.6076

恐れには、段階があるんですよね〜。

最初は、ぼんやりとした違和感です。
うまくいかない理由がわからない。
なぜか動けない。
なぜか周りの人が気になる。

そして薄々、
その奥にあるものに気づき始めます。

「もしかして、自分は優秀じゃないのかもしれない」
「成功できないのかもしれない」
「人としてどこか欠けているのかもしれない」

けれど、多くの人は
ここで無自覚に止まってしまうんですよね〜。

だって、その一歩先に進むことは、
自分の前提を揺るがすと思っているから。

「そんなはずはない」
「いやいや、きっと違う」
「まだ本気を出していないだけ」

内側では、
こうやって争い、抵抗し続けている。

——そうじゃない自分であろうとする力と、
——そうかもしれないと感じている現実との間で。

この“曖昧な葛藤”が、
最もエネルギーを消耗させます。

であるなら、あえて言葉にして
言い切ってしまうことが効果的です。

「私は、大して優秀じゃないかもしれない」
「私は、友達が少ない」
「私は、成功に時間がかかるタイプだ」

一見すると自分を下げているように見えますが、
実際には、その逆なんです。

曖昧だったものが、確定し、
争っていたことに終止符がつく。
すると驚くほど、
本来のエネルギーが戻ってきます。

それに、認めることは、
諦めることではないんですよね。
むしろ、現実に直面可し、
「起点」なるんです。

優秀ではないかもしれない。
だからこそ、どう戦おうか。

友達が少ない。
だからこそ、どんな関係を築きたいか。

時間がかかる。
だからこそ、どんなペースで進むのか。

こうやってやっと、
人は“自分の人生”をリアルに考え始めれます。

恐れの正体は、しばしば
「そうであるかもしれない自分」です。
そして多くの人は、その可能性と戦い続けています。

けれど、その戦いをやめれば、
恐れは力を失うんです。
もう争う必要がなくなりますから。

「私は、そうかもしれない」

認めることは、厳しくも諦めでもありません。
むしろ、
とても現実的で、強さを持っています。

そこには、どう見られたいとか、
過剰な期待もありません。
ただ、“今の自分”があるだけです。

その地点に立てたら、

「じゃあ、ここからどうする?」

という問いを、本当の意味で持つことができます。

恐れをなくそうとするのではなく、
恐れの核心まで言葉にする。

それができたとき、
人はようやく、消耗から抜け出し、
本来の力を発揮し始めるんですよね。

写真は麦畑です。
むぎが揺れる音がなんとも心地よかったです。

2026.04.27.

どの無理を選ぶか  vol.6067

無理をするか、しないか。
これって意外と難しいですよね笑。
できるかどうかで選んだり、「〜べき」的に選んだり。

無理をするべき時というのは、

・今ここで踏ん張れば、次が楽になる
・ここを越えないと、流れが止まる
・やらないと後悔が残る

こういう“流れの節目”なんだと思うんです。
未来の自分にバトンを渡すための無理って
言ったらいいのかな。

こういう無理は、
やった方がいいというか、
むしろ、やらなかったら後で
別の意味で効いてきます。

一方で、無理をしない方がいい時もありますよね。

・長期戦
・消耗するだけで、次に繋がらない
・続けるほど、ズレていく

こういう時に無理しちゃうと、
未来の自分の足を引っ張る無理になっちゃいますよね。
これは、やらない方がいい。

大事なのは、
「無理ができるかどうか」
じゃないんですよね。

日本人はつい、

・まだできるからやる
・頑張ればいける気がする
・無理しないなんて本気じゃないみたい

で、無理を選びがちなんですが、
それだと消耗しちゃいます。

無理をすること自体は、悪くない。
でも、“どこに無理を使うか”が大事で、

短期で踏ん張る力と
長期で積み上げる力を
行き来しながら、

「ここは行く」
「ここは引く」

その判断ができる力をつけていくことが、
大事なんだと思います。

どの無理を選ぶか、
どんな時に、
どの無理の使い方がベストなのか、
を丁寧に見ていきたいですね。

2026.04.19.

苦手克服のポイント  vol.6059

眉間に皺を寄せてやり切るのもカッコイイですが
楽しみながらやれたらサイコーだって思うんですよね。

どう組み合わせるか。

実はココが一番の分かれ道な気がしています。

なぜか、
「頑張る=苦しいもの」
「楽しい=ゆるいもの」
って、どこかで切り分けているんですよね。
思い込んでいると言ってもいいのかもしれません。

だから、どちらかに偏っちゃう。

歯を食いしばって、しんどさを引き受けるか。
心地よさを優先して、どこかでブレーキをかけるか。

でも、本当は別の選択肢があるんですよね。
経験したこともあるはずです。

“真剣に、楽しむ”

たとえば何かの勉強でも、
「やらなきゃ」で机に向かうのと、
「昨日より1つでもわかるようになったら面白いな」
で向かうのでは、
身体の使い方も、集中の質も、
全く変わってくるんですよね。

真剣さは、そのままに、
力みだけを抜いていく。

すると、不思議と持続できるし、
結果として、深くまで届いていく。

頑張ることをやめるわけじゃなくて、
楽しむことに逃げるわけでもない。

その両方を同時に持つ。

それができると、
人は「やらされている状態」から抜けて、
「自分で進んでいる状態」に変わるんだと思います。

これって、苦手克服のポイントだと思うんですよね〜。

写真はヨモギです。
昔は苦手だったのに最近はヨモギの香りが大好きになりました。

2026.04.13.

「立てるなら、立てばいいのに」  vol.6053

小学生の頃、アルプスの少女ハイジを見ながら、
私はクララに少し苛立ってたんです。

立てるんでしょ?だったら、立とうよ。
みんな応援してるじゃんって。

今思うと、ずいぶん乱暴な見方です笑。

クララは、立てる可能性があって、
何度も試して、それでも立てなくて。

そして、
追い込まれるような状況の中で、
自分の足で立つ瞬間が訪れる。

今の私なら、
時間がかかることを理解できます。

人には、
準備が整う時間が必要で、
無理に押しても動かないものが、
自然に動き出すタイミングがあるんですよね。

オンジは、
それを知っていたのかな?

なんだか、改めてハイジを見たくなりました。

写真はハイジの「モミの木」ではなく、
多分、杉の木です笑。

2026.04.11.

“ズレ”が明確になるとき  vol.6051

普段、薬などを一切、飲まないせいか、
病院から出された薬が強いからか、
腰痛の薬がよく効いてくれます。

そのせいか、
横になっておく方が良いと言われたからか、
ずっと寝ています笑。

少し疲れていたのかもしれませんね〜。

こういう、予定外の静止状態って、
“ズレ”が明確になってるんだと思うんです。

進めたいこともあるし、
やらなきゃいけないことは当然、あるんですが、
身体は強くブレーキを踏む、みたいな。

だから改めて
気持ちと身体のバランスを考えざる得ない。

無理が効いているうちは
無視できても、
実際、動けなくなることで
直視すべきものを見ざる得ない、的な。

目標を決めて一気に進むのがお好みの私ですが、
身体がブレーキを踏むことで
今の自分のバランスやリズムを
考えさせられる時間なんでしょうね。
ふーっ。

まぁそれも、きっと、
次に進むための準備のひとつなんだと諦めて(笑)。

写真はいただいたお菓子なんですが、
行列ができてるお店のお菓子だそうですが、
パッケージも可愛いし、めちゃくちゃ美味しかったです!!!

2026.04.10.

特に寝返りがやばい  vol.6050

立ち座りも、笑うのも、ちょっとモノを取るのも
腰を使うんですね。
特に寝返りがきつい。
寝返りなんて普段、無意識にやってるじゃないですか。

一昨日から腰が砕けちゃった感じで。

ウッと来る痛みを恐れながら、
そっと手を伸ばして、
「あ、やばい」と思ったら、静止。

そんなことを繰り返しているうちに、
なんだか、笑けてきて。

笑うと腰が痛いのに、
それでも大笑いしちゃったんです。

そんな自分がちょっといいなとも。

笑えれば
その笑いで吹き飛ばされることって
少なくないんですよね。

もちろん、外科的な痛みではあるものの、
痛みが消えるわけじゃないし、
現実が変わるわけでもないんですけどね。

でも、
ちょっと違うものに変わるんです。

ちゃんと向き合うことと、
深刻になることは、
たぶん、別なんですよね。

流石に辛すぎて病院に行くと
成長期にやらかしていた腰痛の復活でした汗。

ここ何十年も何もなかったのに?と問うと、
先生は「腹筋が弱まってお腹が出てくると…」と。

なるほどね。了解!って感じでした笑。

写真は沈丁花(ジンチョウゲ)。
病院の脇に可愛らしく咲いていました。

2026.04.07.

人が揺れるのはなぜか?  vol.6047

ワクワクすることって、だいたい少し怖いし、
安心できる場所って、だいたい少し飽きるって感じません?笑
これ、もともとそういう構造なんですよね。

人は、変わりたい自分と守りたい自分の
両方を同時に持っているから。

だから、
前に進もうとすると不安が出るし、
落ち着いた場所にいると物足りなさを感じる。

でもそれは、
両方の欲求がちゃんと働いている証で、

不安は「進もうとしているサイン」なら、
飽きは「次に向かうタイミングのサイン」。

この構造を理解していると、
揺らされる一方じゃなくて、
立ち止まり、問い直し、また選び直せます。

両方あるからこそ、人は揺れる。
その揺れはときに厄介に感じるけど、
その揺れこそが、
実は大切なサインなんですよね。

 

 

写真は夕方なんですが、
気づけば、陽が長くなりましよね。

2026.04.05.

“いい人”がしんどくなる理由  vol.6045

我が家のわんこは、ジャック・ラッセル・テリアです
元気で手に負えない、とよく言われる犬種ですが、
うちの子は女の子で、どちらかというとおとなしいタイプです。

「ジャックなのに、いい子ですね」

そんなふうに言われることも多くて、
実際、手がかかるどころか、とても扱いやすい子です。

ただ、最近ひとつ変化があったんです。

出張が少ない時期、
私が家にいる時間が少し長くなった頃から、
前足を乗せたり、吠えたりして、
私に要求するようになったんです。

「遊んで」
「構って」
「これが欲しい」

その対象は私だけ。
今でも夫には、そんな態度はとりません。

これはきっと、
「訴えればどうにかなる」を学習したんだな、と。

で、この「理解」は、
もともと私が与えちゃったんですよね。


時間があるから付き合ってあげる。
喜んでくれるのが嬉しいから、つい応じてしまう。

その積み重ねが、
いつの間にか
「これはやってもらえて当然」に変わっていく。

こっちは「してあげた」と思っているのに、
相手は「してもらえるもの」と受け取るんですよね〜。

ここに、少し不条理を感じますが、
冷静に見れば、
私が「学習」させちゃったんですよね。

すると、今度は逆のことが必要になるんです。

「吠えても応じない」
「境界線を引く」

つまり、少し厳しくしなくちゃいけなくなる。

ここで考えるんですよ、
自分は本当に優しかったのか。

それとも、
「厳しくするのが嫌だっただけ」
だったのか。


・機嫌よくいてほしい
・喜んでほしい

そんな自分の都合が、
優しさの形をしていただけなのかな?と。

だから、関係が崩れ始めたとき、
今度は
「なんでこんなふうになるの?」
と、なんか嫌になる。

でも本当は、
境界線を私がゆるめすぎちゃったから、
「厳しさ」を引き受けることになっただけなんですよね。

これって、わんこの話だけじゃないと思うんですよね。

人間関係でも、子育てでも
まったく同じようなことが起こるじゃないですか。

優しさは、ときに関係を歪めます。

与えすぎた優しさは、
「感謝」ではなく「前提」になり、
やがて「要求」に変わる。

優しさだけでは、関係は続かないんですよね〜。

本当に関係を守るために必要なのは、
「境界線」なんですよね。

相手のためにも、
自分のためにも。

優しさは、
してあげることではなく、
関係が壊れない距離を守ることなのかもしれません。

そんなことを、
我が家の小さな先生に教えてもらっています。

写真はご近所の桜です。
福岡は現在、さくらが満開です!

2026.03.24.

やめたら、やりたくなる  vol.6034

嫌いになったはずなのに、
手放したら逆にやりたくなる——そんな経験、ありません?

スランプに陥ったアスリートが、
一度そのスポーツから離れて別の活動をしていたら、
また意欲が湧いて戻ってくる。
そういう話を聞きますよね。

長い期間じゃなくていいんです。
たった3日、1週間。
それだけで、見え方がずいぶん変わることってあります。
長くやってきた人ほど、なおのこと。

いつの間にか「〜したい」が
「〜しなければ」になっていたりするから、
それを手放したとき、
開放感があってちょっと気持ちよかったり、
同時に「本当にやらなくていいのかな」と思ったり。

そのあいだに、
頭と心が、少しずつ整理されていきます。

そして気づいたら、
あんなに嫌だったことが、
またやりたくなっている。

追い詰められているとき、
「もっと頑張らなきゃ」と思いがちです。
でも、そういうときこそ、少し離れてみる。

手放すことが、
戻るための近道になることがあるんですよね〜。